韮崎エリア

戦争の悲惨さ学ぶ、戦争遺跡「七里岩地下壕」見学会

 平和の尊さを後世に伝えようと韮崎市は、8月11日、山梨県最大の戦争遺跡といわれる一ツ谷にある七里岩地下壕の見学会を開き、市内外から約20人が参加し、地下壕の掘削の過酷さや残された道具の残骸などに戦争の悲惨さを学んだ。

 この見学会は、新型コロナウイルスの影響で3年ぶりに開かれたもので、市民団体「韮崎七里岩地下壕を保存する会」の事務局長を務める向山三樹さんを講師に迎えた。

 当日は向山さんが、「太平洋戦争の本土決戦に向けて、軍部が七里岩の地形を利用して戦闘機『隼(はやぶさ)』を製造する航空機工場をつくるため、1943年3月〜8月にかけて全長約120㍍、高さ最大6㍍、幅4㍍の地下壕を掘削した」と説明。

 また、地下壕の内部に移動して、参加者に土砂を運ぶトロッコの線路に使用したとされる枕木や削岩機のロッドなどを紹介し、「戦争の最前線ではなくても、この場所で何千人の人たちが24時間体制で作業を行い戦っていたということを考えてほしい。ウクライナでは、こういったことが現在も行われているかもしれない」と語った。

 藤井町から親子で参加した坂田泰之さん(54)は、「現代のような掘削技術が無い中で、この規模の地下壕を掘ったというのは、辛い作業だったのだと感じた」といい、颯野さん(韮崎東中1年)は、「戦争という悲惨な状況の中で大人も子供も作業に協力して、苦しかったと思うし、自分だったら耐えられない。貴重な話を聞いたので、友達にも伝えたい」と話した。

 

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