くらし

トレッキングクラブ北杜

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この地に住み着いて十年の歳月が過ぎた。山村の生活は、私や家族の者にとっては都会的な複雑さと異なり簡素な生活を迎えるようになった。そして、都会生活で見逃しがちな太陽や星や雨や風などが身近な存在となり、住居を囲む森や川や野やそしてことに大きく迫る山々の姿は親しいものとなりました。

それらの自然は自分と考えや感情の通う息吹をもっているかのようで互いに傍観者として隔たった存在者ではなくなったのであった。

山里のその日その日は何時も平易で純粋であるように思われる。うららかな日はいうまでもなく八ヶ岳降ろし、荒れ狂う日であっても、どの樹も草もどの山も谷もその時々の調べに融和してまじり気のない効果を表すのである。

私は北域の山腹に春をたずねた事を忘れることが出来ない。落葉松林の縁の草原に太ったワラビやその他の山菜を採ったのである。長閑な日和を浴びて雪の峰を仰ぎ小鳥の囀りを聴く安らぎの中に身を置いて、このような時に私らは知らず知らずの間に、自然の慈しみの中に陶酔しているのであった。

(長十〈チョウジュウ〉)