くらし

柳沢家に伝わる「餓鬼ののど」紹介

武川町の甲斐駒センターせせらぎ竣工記念として開かれている連続講座が八月二十一日に開かれ、武田家滅亡後、残党狩りを恐れた武川衆が四三〇年前に隠れたといわれている「餓鬼ののど」について、柳沢史跡保存会の重田友五郎さんが講演した。今回で四回目。

冒頭、柳沢史跡保存会の活動を紹介し、柳沢吉保公が荻生徂徠(おぎゅうそらい)に命じたという「餓鬼ののど」の調査について語り始めた。

その中で、武田家が滅亡し、織田信長が本能寺の変で自刃するという日本の歴史が大きく変わった天正壬午の乱(一五八二年)の年、織田信長の武田家残党狩りから逃れるため、武川衆のひとり柳沢信俊が、餓鬼ののどに隠れたと伝えられていることや、一二四年後の一七〇六年に、柳沢吉保公が荻生徂徠に命じて、餓鬼ののどの調査をさせたこと、この時の調査内容が、「風流使者記」と「峡中紀行」に残されていることなどを紹介した。