韮崎エリア

歴史学者の平山特任教授迎え、特別講演会

 龍岡町の竜岡公民館(土屋雅五館長)は、12月9日、今年3月に新築した同公民館の完成を記念し、歴史学者で健康科学大学の平山優特任教授(南アルプス市在住)を講師に迎えた特別講演会「徳川家康と武田氏」を開いた。

 当日は、市内外から約100人が参加。平山特任教授は武田信玄の父親・信虎の晩年を描いた映画「信虎」(2021年)や大河ドラマ「どうする家康」(23年)などの時代考証を担当したことを話し、史実で家康が信玄と勝頼の親子と約10年に渡って戦い続け、「徳川家を滅亡直前まで追い詰めたのは武田家だった」と語った。

 また、ドラマの影響で近年、家康に関する歴史の研究が進んでいるといい、三方ヶ原の戦い(1573年)で家康が信玄と戦った理由として、領内の侵入を見逃すことは家康の信用の失墜につながるためという従来の説ではなく、家康の本拠地の浜松城への物流を支える浜名湖水運の要所の堀江城を信玄が侵攻しようとしたことから家康は戦わざるを得ない状況だったのではないかと話した。

 長篠の戦い(1575年)では、「『鉄砲対騎馬の戦い』といわれているが、武田軍も鉄砲を持っていた」といい、近年の発掘調査で織田・徳川連合軍の鉄砲の弾には鉛、武田軍は銅が使われていたことが分かり、武田軍が弾丸や火薬の調達に苦労し、物量の差によって敗戦したのではないかと考察した。

 さらに、家康は武田家の家臣が有能であることを知っていたため、武田家滅亡後、徳川軍に引き入れたとし、「江戸幕府を支えた技術者や官僚は武田遺臣。家康を天下人に押し上げたのは武田家の力が大きかった」と話した。

 

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