星が見えること
子供のころ、お年玉をはたいて天体望遠鏡を購入した。「とりあえずあの星にあててみよう」。ワクワクしながら組み立てて、説明書を読みながら夜空の中に輝く一点を狙った。初めて操作する上に、望遠鏡は上下左右が逆に映る。合わせるまで、思いのほか時間がかかった。ようやくぼやっとした光をレンズにとらえ、ピントを合わせた。「輪っかがある!」土星だった。
私は子供のころから何故か星好きだった。田舎に住む祖母の家に行った際は必ず夜空を見上げ、当時住んでいた名古屋の街中でも星座早見盤をかざして夜空を見ていた。昼間に月(「上弦の月」。当時はこの言葉を知りませんでしたが)が見えることも知っていて、理科のテストで「月はいつ出るか?」との問いに「昼」と答えて×(バツ)を食らい、大変憤慨した覚えもある。
何で星を好きになったのか、自分でも良く覚えていない。テレビの影響だったのか、図鑑の影響だったのか。いつの間にか星好き少年になっていた。たぶん、星を好きになるのに理由などいらないのだろう。そもそも、「星が嫌い」な人なんているのだろうか?
現代は様々な人たちの努力のおかげで、肉眼で見るよりもきれいな星空の画像を、いつでもどこでも気軽に観られるようになった。昔に比べれば、とっても便利な時代になった。その技術の進歩は、星空の魅力をより多くの人に伝えてくれるだろう。
ただ、その進歩に反比例して、「夜空の星を観る人」が減ってはいないだろうか。暮らしの中で、「ゆっくり星を見上げる時間」が、1カ月のうちにどれくらいあるだろうか。
街中では昔より星が見えづらくなっているけれど、(代表的な)星の数が減っている訳ではない。一等星は未だ東京の街明かりにも負けずに輝いている。「夜空に星が見える」ことは、本当はとても尊いこと。大人も子供も心躍るような星空があることは、本当の豊かさの一つだと思う。そんな場所が今よりも増えてくれれば、と願っている。 (文責:村井孝一)